3年前の今日も私達夫婦は沖縄にいました。
地震が起きたころはちょうど那覇空港に向かうタクシーの中。
タクシーのラジオはついていたけれど、地震については何も報道されていませんでした。
何も知らない私は携帯で調べ物をしようとしていましたが、なぜかネットには繋がりませんでした。
今から思えば、海を隔てた沖縄でも震災の影響でネットが使えなかったのかもしれません。
那覇空港では「仙台沖で起きた地震の影響で羽田空港に着陸の準備が整わない」との説明のみで、飛ぶかどうか分からない飛行機を出発ロビーで5時間ほど待ち続けました。
「今日はもう諦めて、明日の便で帰ろうか」ということになり、夫が那覇市内のビジネスホテルをネットで予約。
明日の便に変更してくれるようにグランドスタッフに告げに行くと、「飛ぶという情報が今入りました!」とのことで、予約したビジネスホテルをキャンセルしてから、飛行機に乗り込みました。
機内でも2時間くらい待たされた挙句に「各地から飛行機がいっせいに羽田に向かったので、着陸する飛行機で羽田空港の滑走路は大混雑している。その上、首都圏の交通機関が麻痺している為に羽田空港に帰宅難民が溢れていて、国交省から当機の離陸の許可が下りません」との説明がキャプテンからあり、一旦乗った飛行機から降ろされました。
航空会社がホテルを紹介してくれる訳ではないので、一度キャンセルした同じホテルを自分達でまた予約し直して(最初はネット予約だったけれど、今度は電話予約の為に同じホテルが3000円アップというオマケつき^^;)、そのホテルにたどり着いたのが夜の11時ごろ。
半日以上、全く情報が遮断されていたので、ホテルの部屋でテレビをつけて、初めて何が起こっているのかを知りました。
その小さなビジネスホテルの部屋のTVから流れてくる映像を見た時の衝撃は、一生忘れることが出来ません。
この世のものとは思えませんでしたし、同じ日本で起こっていることとは、到底信じられませんでした。
そして、自分達のドタバタ劇がどんなに取るに足りないものかということも、初めて分かりました。。。
日本人はきっと一人一人がそれぞれの「3.11」を抱えていることと思います。
偶然にも昨年の3月11日は沖縄に向かう飛行機に乗っていましたし、私達夫婦の「3.11」は沖縄とは切り離せません。
あれから3年経ちましたが、まだまだ問題は山積みです。
今日は「あの思いを風化させることなく、今後も自分達に出来ることを模索していこう」と足元を見つめる一日です。